久留米銘菓 創菓堂 素人残月
時は大正十五年
初代 酒井 清は大お人よしすぎる性格で、事業に失敗。
生活のためにお菓子を製造販売する。
看板商品となる「素人残月」の「残月」とは明け方にうっすらと残る月。
「素人残月」は球体を半分に切った形を月と見立て、素直で誠実な気持ちを「素人」に込めた。
生菓子や餅系の和菓子と違ってオーブンで焼いた和菓子の「素人残月」は皮のサックリ間と中のこし餡。
そして、一口サイズでお茶請けお土産にぴったりの商品として店舗販売の他、久留米市内や福岡方面のお菓子屋の卸、お客様のおみやげとして企業や旅館、料亭などでも幅広く使って頂く事になる。
しかし、清を手伝う子供たちも成人となりそれぞれが社会に出て他の道を進むようになる。
人気商品になるも・・
次男の昭七郎一人が後を継ぎ、初代亡き後、2代目となる。
また、そこに嫁いできた文子が手伝うも、人手不足となり卸をやめてリアル店舗のみでの販売をスタートさせる。
仕入れ販売していた他の商品もやめて、「素人残月」のみの販売に徹していったところ口コミで人気商品になる。
その中、地元の百貨店より実演販売の機会を頂き、売れ行きも好調、地域での認知度も上がってきた。
しかし、バブル期が崩壊し和菓子店にもその影響は大きくのしかかる。
長年取引をして頂いた企業からの注文は激減、「素人残月」の存続の危機があった。
多くの人に喜んで頂ける商品へ
待ちの営業から攻めの営業へお菓子を待ち望んでくださっている方へ届けたい!
2代目の奮闘があり、危機を乗り越えることが出来た。
2代目の死去に伴い昭七郎の後に妻の「文子」が3代目となり「素人残月」の継承に努める。
卸をしていた百貨店のバイヤーより「栗」を使った残月を作ってみたらとの提案を頂き残月に合う「栗」を探し、試行錯誤し誕生したのが「栗残月」
この時、お菓子を創造し生まれてくる商品に価値を見出す意味をこめて店舗名を「創菓堂素人残月」に変更する。
創業96周年(令和3年)を迎える今、願うのは当店のお菓子で「ハッピー」な気持ちのひと時を感じて頂き、お友達、お仕事関係の方、ご親戚、またお世話になった方そして大切な人とのつながりのアイテムとして当店のお菓子がお役に立てること。
そのうえで、この「残月」のヒストリーが、続いていけることを・・・・・